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開港50年 苫小牧港半世紀の歩み

第1部・海の玄関 (5)東港

2013/1/10配信

 午後10時。真冬の苫小牧港・東港周文埠頭(ふとう)に、国内最大級のフェリーが接岸している。敦賀港から到着した新日本海フェリー「すずらん」(1万7382トン)だ。対岸では、北海道電力苫東厚真発電所から放たれた明かりが水路をオレンジ色に染める。1980年10月24日に開港した東港。同発電所の燃料炭を積んだ石炭船が第一船だった。

 500億円を超える巨費を投じ、着工からわずか4年後に開港。国策として進められた「苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画」の中核拠点として期待されたが、西港のように後背地に企業が集まる工業港にはならなかった。

 約1万ヘクタールの勇払原野を開発し、石油、化学、自動車など大規模工場を誘致する―。壮大な構想だったが、オイルショックなどで経済環境が一変。空き地だらけの工業用地を残して同計画は破綻し、「東港は釣り堀か」と批判を浴びた。

 使い道が定まらなかった東港の転機は90年代後半に訪れる。苫小牧港で日本海側航路の開設を模索していた新日本海フェリーの就航だ。

 当時、苫小牧港管理組合に勤務していた苫小牧市OBの山本征夫さん(68)は「国から『東港をどうにか使えるようにしてほしい』とプレッシャーを受けていた。もう流通港しかない。その決定打が新日本海フェリーだった」と振り返る。

 当初、同社は西港晴海埠頭や西埠頭を利用したかったが、水路が狭い上に競合各社や地元港湾関係者との調整が難航。秘策として、市は東港の利用を同社に打診した。元苫小牧市長の鳥越忠行さん(73)は「社長を呼び、『東港でどうだ』と提案した」と話す。

 だが、東港は後背地の企業が原料調達と製品出荷のために利用する工業港として造られており、室蘭など他の物流港への配慮もあって道は「当初の計画と異なる」と難色を示した。

 そこで市と管理組合は「あくまで”暫定的”に東港の岸壁を使わせる」という論理を持ち出し、道を説得。99年7月8日、東港を発着する日本海側航路が開設された。

 「工業港という縛りが外れたことで、フェリーが東港に来たんだ」と鳥越さん。苫小牧港は西港に太平洋側、東港に日本海側と二つのフェリー航路を持つことになった。

 その後、2008年8月、東港に西港入船埠頭から国際コンテナターミナルが移転。流通港としての性格を備え、西港と同じように道内経済を支える物流基地となった。山本さんは「流通港としての実績ができたのは、フェリーがあったから」と感慨深そうに語った。

 高度成長期に描いた夢。その後始末という重い課題を抱え続けた東港だったが、開港から32年を経てようやく在るべき姿を整えつつある。

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