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開港50年 苫小牧港半世紀の歩み

第1部・海の玄関 (4)国際化

2013/1/9配信

 キリンにそっくりな荷役機械「ガントリークレーン」をエレベーターで上り、苫小牧港・東港中央埠頭(ふとう)の国際コンテナターミナルを見下ろす。コンテナを保管するヤードの面積は21万9千平方メートルと広大だ。コンテナがブロックのように積み上げられ、トレーラーがヤード内を走り回っていた。

 苫小牧港に初めて国際コンテナ船が入港したのは、西港開港から11年後の1974年9月12日。極東船舶公社(旧ソ連)が運航するコンテナ船だった。

 ユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道で欧州とナホトカ港を結び、同港から日本向け貨物を輸出する「シベリアランドブリッジ」と呼ばれた輸送サービスを展開。欧州メーカーの農機などが西港に陸揚げされた。

 88年にはギアバルク・コンテナサービス(GBCS、米国)が北米航路を開設。その後、東南アジア、韓国と次々に国際コンテナ航路が開設された。

 ターミナルを運営する苫小牧港外貿コンテナ事業協同組合の高橋清志専務理事(58)はGBCS第1船の荷役を覚えている。「真夜中に接岸したから、岸壁に張り付き、暗い中で作業したんだ。忘れられない」と当時を懐かしむ。

 ばら積みと違い、コンテナは荷物を傷めず運ぶことができる。荷主はコンテナ1個分の輸送費を負担すればいいので、船をチャーターする必要がない。こうした利点が支持され、70年代から80年代にかけて苫小牧港に世界中の貨物がコンテナで輸入される時代が到来した。

 当時は課題もあった。例えば北米から輸入した牧草。陸揚げする予定の半分近くが植物防疫検査をパスできないことさえあった。港湾運送・荷役を担うナラサキスタックスの鈴木信一社長(62)は「生産者が米国から苫小牧港に来て対応したこともあった。出港前に薫蒸処理を徹底することで、ようやく改善できた」と回顧する。

 岸壁ごとに荷役業者がばらばらに行っていた非効率な荷役も劇的に変わる。97年4月、西港入船埠頭に完成した国際コンテナターミナルだ。これを機に荷役5社が同組合を立ち上げ、ヤードとコンテナ、荷役機械を共同管理する効率化した体制が整った。

 取扱数増加に伴うヤードの混雑とコンテナ船の沖合待機を解消するため、2008年8月にターミナルは東港に移転。全長570メートルの岸壁とクレーン3基が整備され、昨年11月から内航コンテナ船を含む3隻同時の接岸・荷役が可能となった。

 1970年代後半に一千個(20フィート換算)前後だったコンテナの年間取扱数は2011年、過去最高の21万4千個を記録。東北・北陸以北の北日本で最大のターミナルに成長した。非力なクレーンで荷役をやっていた40年ほど前を振り返り、鈴木社長は言った。「こんなに大きな港になるなんて、当時は考えられなかった」

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