6

25(火)

胆振の
明日の天気

曇り後時々晴れ

20 / 12

開港50年 苫小牧港半世紀の歩み

第1部・海の玄関 (2)フェリー

2013/1/5配信

 「雪遊びが楽しかった」。Uターンの旅客で混雑する4日の苫小牧港・西港フェリーターミナル。冬休みを道内で過ごし、福島市に帰る小学6年の藤崎大輔君(12)が照れくさそうに思い出を教えてくれた。午後7時、少年を乗せた仙台行きの太平洋フェリー「きそ」(1万5795トン)がゆっくりと離岸。水路に航跡を引き、純白の船体が夜の闇に吸い込まれていった。

 苫小牧港は現在、フェリー4社が八戸、仙台、大洗、名古屋、秋田、新潟、敦賀の7航路を東西両港で展開する。年間でシャシー(トラック含む)50万2千台、乗用車22万2千台、旅客78万5千人(いずれも2011年実績)を輸送している。

 苫小牧港に初めてフェリーが入港したのは、西港開港から9年後の1972年4月29日。日本沿海フェリー(現商船三井フェリー)が開設した東京航路(現大洗航路)の「しれとこ丸」(7862トン)で、約一千キロ離れた両港を30時間で結んだ。

 同社苫小牧営業所の初代所長を務めた苫小牧市宮の森町の加藤孝一さん(91)は「どれだけ旅客と貨物が集まるか不安で、旅行代理店と企業の営業に回った。無我夢中でした」と回顧する。

 努力が実り、しれとこ丸は貨物を満載して初入港を果たす。その後しばらく、東京航路はキャンセル待ちのトラックの列ができるほど人気を集めた。翌年以降、他社が八戸、仙台、名古屋航路を相次ぎ開設した。

 第三セクターの苫小牧港開発がフェリーターミナルを運営する。同社ターミナル事業部の星孝二さん(65)は「車両と旅客の誘導を学ぶため、フェリー就航の1年前から川崎や小樽へ研修に行きました。天気図の見方も教わりましたよ」と話す。

 西港は93年まで石炭の積み出しが続いたため、風向きによって貯炭場からターミナルに黒い粉が飛んでくることがあった。荷役を担当していた商船三井フェリー苫小牧支店の土居昭一支店長(60)は「ずっと外に出ていたから、顔が真っ黒になることもあった」と振り返った。

 フェリーが物流の主役になり得たのは▽毎日決まった時間に運航する「定時性」▽一度に大量の貨物を運ぶ「輸送力」▽トラックやシャシーごと船内に貨物を積み込む「効率性」―にある。

 高度成長期のピークを迎えた70年代に国内貨物は順調に増え、クルマ社会も到来した。人とモノを素早く運ぶことが求められる時代の訪れ。道央圏と本州を最短距離で結ぶ苫小牧港に、フェリーが集中するのは必然だった。

 しれとこ丸の初入港から4年後の76年、苫小牧港の飛躍を見届けた加藤さんは定年を迎えた。「大過なく仕事を全うできて幸せでした」と思っている。

週間ランキング

集計期間 06/18〜06/25

お知らせ

受付

苫小牧民報社から