企画・特集

継承の風景―北の夢白書―

(1)厚真 農のリレー

(2009年 10/19)

新米の出来を確認する荒城さん親子

 「生まれた所を息子に継承できるのが何より」。荒城章一さん(61)は目を細めた。秋の日差しを浴びて黄金色にきらきらと輝く稲穂。コンバインで稲を刈る長男、一憲さん(25)を見やった。就農3年目を迎える自慢の跡取り息子。今ではほとんどの作業を任せられる。「年金の対象になったら経営委譲するんです」。うれしそうに言った。

 富山県から厚真町に入植した。山を切り開いて開墾した。当初は水稲6ヘクタールの単作農家。長男が代々、土地と家を継いできた。「親から『跡を継ぐように』って言われてきた。他の職業は考えられなかった」。3代目の章一さんは静内高農業科(現静内農業高)を卒業後、すぐに実家で父の跡を継いだ。

 時代は農政の転換期。1970年から転作を始めた。手探りで大豆、小麦、テンサイなどを輪作。近所の農家と生産組合も組織した。「40年近くやって、何とか形になった」。個人で水稲、畑計ヘクタールを抱えるまで拡大。町内でも中堅クラスの農家に成長した。

 しかし、一憲さんに「跡を継いで」と言えなかった。「長男とはいえ時代が違う」。心とは裏腹に「自由にしろ」と言い続けた。一憲さんが普通科の高校に合格した。喜びながら、ふと寂しくなった。田んぼも畑も1枚ずつ状態を見極め、肥料設計から育てた土地。「本人が決めることだ」と心に言い聞かせた。

 「長男なので頭の片隅にはずっと、『跡を継がないと』と思っていた」。いつのころからか分からない。一憲さんは心で決めていた。日の出とともに畑で汗を流す両親。出来秋に笑顔で包まれる家族。物心ついたころから尊いように思えた。

 「この土地を大事に守っていきたい」。高校卒業後の進路を決める際、初めて父と思いを語り合った。江別市の酪農学園大学に入り、経済も含めて農業を専門的に学んだ。それでも実家に戻ると、草取りなど、雑務から始めた。

 「体で覚えるしかない」。自分の目で確かめることを徹底された。作物ごとに使う肥料、農薬は異なる。田んぼや畑によって土質、水はけも違う。知識だけでは、補えない。実践してみないと、分からない。「1つ間違えば、1年を棒に振る」。農業の難しさ、奥深さ、そしてやりがいを肌で感じている。

 「家族経営がいいか、どうかは分かりませんが」。章一さんは前置きしながら「肥料設計一つにしても、わたしなりのやり方だから」。長年にわたり築いてきた自負がある。作業の大半を任せられた一憲さんも、「まだまだ足りないことばかり。これからも勉強しないと」。長い年月をかけて、農業が継承されている。

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  培った技、伝統の文化、そして夢―。社会が変わる中でも、「大切なもの」が失われないよう、未来へバトンをつなぐ継承の風景を訪ねた。