企画・特集
公から民へ~公営バス 先進地の選択~
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(2009年 11/23)
市民の足は民間が担っている=秋田市 |
苫小牧市は、市営バスの運行を2012年度に道南バスに移譲する。民営化で市民の足がどう守られるかが、利用者の気掛かりな点だ。秋田、岐阜両市の先進地を取材し、民営化の意義や現状を探る。
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「公営企業としての努力は限界にきていた」。秋田市都市整備部の菅原一彦交通政策室長は、当時の市営バス事業をこう振り返る。
1990年代後半、一般会計から交通事業会計への繰り出し金は10億円にまで膨れていた。運賃改定、バスの到着を知らせるシステム導入など先進的な取り組みにも乗降客数は減少の一途。99年度から5年間で約380万人も落ち込み、2003年度はやっと1000万人を確保できる程度になっていた。
経営改善。市が当初最優先に考えた案は、市出資の新会社に経営を移す「間接移管方式」。市が経営権を握ることで路線やダイヤを守りながら、コストを抑える方法だ。
ただ、秋田市内は市バスと同じ路線を民間の秋田中央交通(渡辺靖彦社長)も運行。「新会社方式では競合路線を解消できない」(菅原室長)という問題はくすぶっていた。
一気に流れを変えたのは、99年1月の市議会。参考人として出席した渡辺社長は「30万人都市で、競合路線を運行する状況ではなくバス事業者は1社で十分」と述べ、競合路線の引き継ぎを示唆した。
競争相手だった民間事業者が事実上、市バス路線の受け入れを表明した瞬間だった。2000年度からの移管(移譲)は、その競合路線からスタート。しかし、バス事業をめぐる環境は改善せず、結局、市は06年度までの7年間で、競合しない路線を含む38路線すべてを同社に移管した。10億円の繰り出し金は、08年度決算で7100万円の補助金支出までに圧縮された。
人口41万人の岐阜市。2001年ごろ、市内は岐阜乗合自動車(岐阜バス)、名鉄バス、市営バスの3社が競合していた。乗降客約2250万人。それが5年間で約600万人も減ってしまった。
「減少する利用者を3社で食い争っていては、いずれ3社とも共倒れしてしまう」。
当時、岐阜バス交通政策部長だった三田村清氏(現岐阜バスコミュニティ社長)は、こう言って一元化を提案した。企業存続に向けた強い危機感と、戦前から乗り合いバスを運行する歴史ある企業として、市民の足を守る使命感だった。
市営バスも毎年5億円の赤字を抱えていた。バス事業の廃止が浮上する中での民間提案。「3社一元化」への機運は一気に高まった、という。
02年に公営企業審議会、市民議論を経て市営バス路線の移管(移譲)を決定。当時、市の担当者だった名和隆善管財課長は「5億円の赤字は市財政として負担できない額ではないが、市営路線は民間が運行しない不採算路線ばかりで増収が見込めなかった」と市営バスの実態を振り返る。
移管決定の翌03年から3年間かけて段階的に全8路線を岐阜バスに移管し、名鉄路線も引き受けて「一元化」が実現した。


