脳神経外科医の枠超え活動する
高橋義男(たかはし・よしお)さん(59)


 4畳半ほどの狭い診察室。「がんばれ高橋」「気合を入れろ」。壁には子供たちから寄せられた直筆の書や記念写真がびっしり。
 「はい、こんにちは」。部屋の主は、淡々とした口調で親子を迎える。
 苫小牧市光洋町のとまこまい脳神経外科。難病とされる水頭症や低酸素脳症を抱えた乳幼児の手術を次々と成功させ、「魔術師」と呼ばれる医師がいる。それが高橋さんだ。
 人生の転機があった。1984年、道立小児総合保健センター(小樽市)に勤務していた時。脳に重い病気を抱える子供の親たちが連日、深い絶望とわずかな希望を胸にすがってきた。
 「無理しなくていいのでは」。重度の小児まひを抱える子の母親へ掛けた一言。「わたしは普通の子と同じようにこの子へ愛情を注いでいる。中途半端なことはしないで」と、涙ながらに返された言葉は、今も忘れない。
 水頭症など幼児期に患った難病が完治する例は少ない。意識障害など後遺症の残る子供たちが船出する社会には、教育、雇用、生活などあらゆる分野で壁が待ち構えている。「この子たちが社会で自立するまでは、自分が何とかする」。高橋さんは変わった。
 その後、障害児の社会参画を支援する数々の団体創設に携わった。97年からはNPO法人「障がい児の積極的な活動を支援する会 にわとりクラブ」(事務局・札幌市)の理事長として、障害児とその親たちが集うキャンプ「いけまぜ夏フェス」を企画。過去10年間、白老、蘭越、古平などを舞台に開催した。
 「いけまぜ」は、障害者と健常者の壁を取り払い、みんなごちゃまぜになって楽しもうという高橋さんの造語だ。その名の通り、障害児の家族同士が交流を深める以外にも、開催地のボランティアが数人で車いすの子供を抱え運び、共に温泉を楽しむ。「イベントを通じてその地域の障害者に対する考え方を変えたい」。仕掛け人の思いは壮大だ。
 一方で子供たちにも妥協は許さない。「みんな同じ人間だべや。びびるな!」。時には厳しい檄(げき)も飛ばす。「手術をして終わりというのではなく、子供の将来にわたるストーリーを考えてあげることが自分の役目。障害児は人一倍努力しなければならない分、得るものは大きいはず」
 医師の枠を超えて活動する。休みはほとんどない。
 口癖は「大変だから、もうできない」。けどそんな時、自身がかかわった子供や親たちが熱いエールを送ってくれる。診察室の風景も、その象徴。59歳の情熱は、まだまだ絶えない。

(文・写真 中橋邦仁)


メモ 札幌市生まれ。札幌医科大を卒業後、室蘭市の脳神経外科、小樽市の道立小児総合保健センターを経て3年前から現職。障害児の支援団体「北海道たんぽぽ」、古平の「ごめっこ」木古内の「ひまわりクラブ」など各会の代表顧問も務める。今年1月には高橋さんの生き方に感銘を受けた患者の父親が、自身をモデルにした漫画「義男の空」(エアーダイブ)を発刊した。
(土曜日に隔週掲載します)
 

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