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苫東に戦時中の塹壕 保存状態良く貴重な遺跡

(2017年 5/16)

工業用地で見つかった塹壕=苫小牧市柏原

塹壕の平面図

 太平洋戦争末期、旧日本軍が米軍の上陸に備えて造った大規模な塹壕(ざんごう)が苫小牧市柏原の苫小牧東部工業地域(苫東)で発見された。平地と高台の境目に沿うように、数百メートルにわたって残っており、埋もれずに、見てすぐに分かる状態にある。苫小牧の戦争遺跡に詳しい専門家は「このような形で壕が残っているのは珍しい」と話す。

 太平洋戦争末期の1944(昭和19)年ごろ、旧日本軍は米軍が飛行場のある千歳を経て札幌に侵攻する可能性を考慮し、厚真や苫小牧一帯への米軍の上陸も警戒。陸軍第77師団(通称稔部隊)は現在の安平町早来に司令部を置いて、苫小牧や厚真の海岸沿い一帯を防衛ラインに定めた。

 壕が見つかったのはいすゞエンジン製造北海道に近い、国道235号沿いの株式会社苫東が所有する工業用地内。小高い丘を取り囲むようにいくつもの穴が掘られており、全長は約175メートルある。このうち目視で確認できる範囲は約80メートルで、残りの95メートルは以前、工業用水管が埋設された時に埋め戻され、原形をとどめていない。

 塹壕は区画が整理されており、各壕の幅は最大で8メートル前後、深さは約2メートル。敵兵の侵攻を阻むためのものとみられる。背後の丘には「交通壕」「散兵壕」と呼ばれる兵士が移動する通路や敵兵から身を隠すための穴もあり、保存状態は良い。

 戦争遺跡に詳しい厚真町教育委員会の乾哲也学芸員(44)によると、塹壕には四一式山砲や機関銃を設置できるような場所も残されている。「戦後長い年月がたった今、これほど(しっかりした状態)の壕が残っているのは珍しい」と語る。

 用地を管理する株式会社苫東総務部の菅野祐太さん(35)は「広大な工業用地内にいくつか塹壕があると聞いたことがあるが、このような巨大なものを見るのは初めて」と驚く。

 乾学芸員は「もし北海道に米軍が上陸していれば、苫小牧も沖縄と同様の悲劇が起こっていた可能性がある。今回見つかった塹壕は、そうした歴史の一端を垣間見ることができる貴重な遺跡の一つとなるかもしれない」と話している。



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